冬の道東の魅力はたくさんありますが、野生動物との出会いもそのなかのひとつ。特に私のように、都会で生まれ、動物園の動物や首輪のついた犬や猫ぐらいしか見ることなく育った者にとって、その出会いは感激モノです。
私が大好きなのはエゾリス。全体が茶色っぽい色をしていて、可愛らしい耳がつんと上を向いてついています。前足を使ってカリカリと餌と食べる姿や、ちょこまかと動き回る姿はほんとうにキュート!
ある朝、夫がハクチョウの撮影をしている間、近くの林を散歩していたときのことです。霧氷した木々の間から見える青空がとてもきれいで、私は上を向いてそんな景色を眺めながら、ぶらぶらと歩いていました。
と、近くでかさかさと枝がこすれるような音。乾燥した枝が折れたかな、野鳥かな、カラスかな(町中でもおなじみのカラスは、大自然の中でもハバをきかせて、人がハクチョウにやる餌を狙っていたりします)。音のしたほうを見てみると、2匹のエゾリスが木の上で追いかけっこしているのでした。
1匹が木を移ると、もう1匹も同じように移ります。一方がもう一方のエゾリスの後を一生懸命追いかけているのです。太い幹を2匹がぐるぐると回りながら登っていったり(目、回らないのかな)、ときには追いかける側が先回りをして待ち伏せしてみたり。
私は気づかれないように、その場を動かずに2匹のエゾリスを目で追っていました。人間の存在に気づいていない彼らは、ずいぶん長い間その姿を披露してくれました。そして、1匹が私のすぐ近くにあった木に移り、木の幹をまっすぐに下りてきて、私と目が合ってしまったのです。
「あ、やば。人がいた!」そんなかんじでエゾリスは幹に頭を下にしてつかまったまま、私のことをじーっと見ていました。見つめ合うエゾリスとヒト。むこうは動くに動けなくなって固まってしまい、私も動いたらきっと逃げてしまうと、同じように固まったまま一生懸命エゾリスに笑いかけていました。なんとか「いじめたりつかまえたりしないから、ここで遊んでても大丈夫だよ」という気持ちを伝えたかったんですけどネ。
数秒後、エゾリスは意を決したかのように、突然くるんと方向を変え、下りてきた木をすたこらと登っていきました。そしてもう1匹の仲間と一緒に木々を渡って、林の奥の方に消えていきました。
それはまるでディズニーの動物アニメを見ているような、おとぎ話のような光景だったんですよ。
昔むかし、こんな光景が珍しくなかったころ、人々はそれを見ていろんなことを感じたんだろうなあ、なんてことを思いました。ある人はそれを絵にし、ある人は物語にし、またある人は音楽にし、そんなふうにして人間の文化は発展していったのかも、なんて。
道東に滞在するようになって、野生動物にも人慣れしているものとそうでないものがあることを知りました。観光地や民家の近くにいる動物は、人を見ても驚いたり、逃げたりすることはあまりありません。それどころか餌付けされているものは、人と見るとエサがもらえると思って近づいてくることもあります。逆に人気のないエリアをなわばりにしているものは、とても警戒心が強く、ちょっとした物音にすぐ気づいて逃げたり、姿を隠してしまったりするのです。
同じ屈斜路湖のハクチョウでも、人に対する反応は驚くほど違うんです。砂湯など観光スポットにいるものは、人がくると「エサちょうだい」と歩みよってきます(観光客の少ない平日などは、ハクチョウの大群に取り囲まれることもあります)。一方、人のほとんどくることのない水辺にいるものは、動くものに気づいただけで首をまっすぐ立てて、警戒心をあらわにするのです。
ふたつの反応を目の当たりにすると、人と動物との関係について、いろいろと思いを巡らさずにはいられなくなります。決して答えが出せることではないのだけれど、地球に住む生き物として、頭のすみっこで考えるべきことなのかもしれないと思うのです。
私が今そんなふうなことを感じるのは、実際に自分の目で見たから。テレビや新聞、雑誌などさまざまなメディアが、遠くで起こっている出来事をリアルに伝えてくれる時代だけれど、自分自身の五感で感じなければ気づかないことがたくさんあるのだと痛感しました。
ただのんびりぼーっとしているだけ、のはずだった冬の道東暮らしは、本当にいろんなことを教えてくれるのです。
(2001.4.21配信「FINE NEWS」掲載)
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